宮崎曉と、フウガ・イズムの正体

Column #01

宮崎曉と、フウガ・イズムの正体

文=本田好伸

宮崎曉というフットサル選手に対して、多くの人はどんな印象を持っているだろうか?

フウガドールすみだの最古参選手、墨田区区役所勤務の公務員、死神、妖精……。特殊に映るキャラクターの持ち主だということは知られているが、外部への露出が決して多いわけではないため彼のパーソナリティの深部に焦点が当たることはほとんどない。でも、にじみ出る想いの強さがあるような気がする。

僕は、こう思っていた。

誰よりも冷静で客観的な視点を持ち、フウガを心から愛する人。

およそ2時間半のインタビューを終えて、その印象は、変わらなかった。いや、360度回ってそこに戻ってきて、ようやく理解した。彼はやはり、フウガを愛する人だ。

やっぱり、フウガなんです 

Chapter 1

やっぱりフウガなんです

「日本代表を辞退することより、フウガの試合に行けないことの方がストレス」

過去の話題の最中で、ふとそんな発言をした。こちらが思っている以上に宮崎は、フウガを軸に生活してきた。「フウガ以外の選択肢はない」。数年前、他クラブからオファーが届いたこともあったという。単純に競技を基準に考えれば、すみだをはるかに上回る環境と条件がそろうクラブだったが、心は揺れなかった。

「魅力がないと言えば嘘になります。でも、チームを変えてまで行くほどじゃないなと」

それが宮崎だ。フウガへの想いにブレはない。ただ意外なことに、彼はもともとフウガ愛の強い人物ではなかった。僕は以前、須賀雄大監督から、宮崎が加入した頃のエピソードを聞いたことがあった。

「ミヤが入りたいと言って練習に来たけど、メンバーもそろっていたし最初は断った」

宮崎が初めてフウガの練習に顔を出したのは2008年のこと。当時のメンバーは、太見寿人、神尾佳祐、関健太朗、内田淳二、佐藤亮、荒牧太郎、星翔太……など豪華な顔ぶれ。須賀監督に「おまえはこのメンバーで試合に出れると思うか?」と聞かれた宮崎は、当然のように「出れません」と返答。2009年3月、全日本選手権で優勝して日本一となり、多くの選手がFリーグに移籍した後、フウガへ加入することになった。

(PUMA CUP 2009 第14回全日本フットサル選手権大会 優勝。関東リーグ所属のFUGA MEGUROが、Fリーグ上位3チームを倒して優勝。シーズン終了後、9選手がチームを去った)

 

だが、事実は少し違う。宮崎は言う。

「実は、そんなに入りたかったわけじゃないんです(笑)。高校卒業後に1年間浪人して大学生になって、サッカーとフットサルの両方、都リーグでプレーしていました。でも、週末の試合に行くだけでほぼ何もしていないような状況。どこかで蹴りたいと思って高校時代の友人に話したら、そいつが『俺に任せておけ』と深津(孝祐)さんに連絡しました。それで『フウガでやりたいというヤツがいるんです』と伝わって、練習に見学に行くことになり、須賀さんからも『うちでやりたいんだって?』という話になったんですけど、そこまでの気持ちがあったわけではなくて。フウガの試合を見たこともなかったし……(苦笑)」

そんな経緯で加入することになったからなおさら、最初は苦戦した。

「ど素人みたいなものだったので、試合も出れないし、練習もうまくできないし、紅白戦をしても自分が入ったチームが負けるし……嫌だなって。神尾さんには怒られるし、練習に行きたくないし、やめたいなっていう、繰り返し。そういう日々が、3カ月くらい続いていました。でもきっと、高校卒業後の2年間の、何もしていなかった空白の時期が本当につまらなかったから、『そのときに比べたらまし。絶対にあのときのようには戻りたくない』って。その気持ちがあったからこそ、続けていけたんだと思います」

モチベーションが高かったわけではないが、純粋に蹴ることが好きで、なおかつ物事の理解力が優れているために吸収も早く、徐々にプレーの幅が広がり、試合に出る機会が増えていくことで、やめたいと思う気持ちも薄れていた。そして、フットサルにハマっていた。いや、フウガにハマっていた。

(初ゴールは、フウガ加入2シーズン目の2010/2011シーズンの関東フットサルリーグ1部 第4節 ブラックショーツ戦、この日先制点を決めて、さらにハットトリック)

 

「フトさんの存在はものすごく大きかったですし、それに淳二さんにもめちゃくちゃかわいがってもらいました。いじられることも多かったですし、最初は嫌だったんですけど、それもいいなって思えるようになった。上下関係が厳しい高校の部活しか知らなかったので、最初は衝撃でしたよ。でも、下の年代が上の年代の選手に何も言えないようではダメだし、同じ目線で話せるチームだからいいのかなという感覚はありました」

 

(Fリーグ2016/2017最終節。このシーズンで引退を決めた太見寿人との1枚。写真左から宮崎、太見、金川、諸江の不動の1stセットは、Fリーグへ参入までの苦難の道のりを牽引した)

気がつけば、現在のフウガで最も長くプレーしている選手になった。だが宮崎は、「働きながらプレーすること」を信条としていたために、Fリーグ参入前も、参入後も、様々な苦労を経験してきた。

「大成建設で働いていた頃は、みんなが試合前日の日中に移動するなかで、自分だけ夜に移動することになって、でも飛行機が満席で取れなくて行けなくなったこともあるし、選手権の初日は仕事で行けなくて、同じく仕事で欠場した(田口)元気と2日目から向かうこともありました。前職でも今の区役所の職場に移ってからも、すごく理解を得られていたのですが、それでも難しいことはあります。日本代表に選ばれながらも、上司から電話が来て、どうしてもそのタイミングは……ということで辞退したこともあります」

でも、と続けた言葉に驚かされる。

「代表にはそこまでこだわっていないですからね」

ひょっとすると、意識の低さを問われそうな発言だ。しかし、宮崎には芯がある。

「やっぱり、フウガなんです。このチームで優勝したいから」

日本代表を辞退するよりフウガの試合に行けないことがストレスという意味は、そこにあった。

<Chapter 2へ続く>

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